「 成功して欲しい、山古志の復興 」
『週刊新潮』 '05年3月17日号
日本ルネッサンス 第157回
新潟県長岡市の中心部から車で約30分、北西方向に走ると長岡市ニュータウンに着く。山古志村の人々が身を寄せる仮設住宅の建つ場所だ。昨年10月23日の新潟県中越地震で集団避難した住民は、2,161人。1月末の全村民への調査では、92パーセントが村に戻りたいと答えた。
長島忠美山古志村村長(53歳)は、村民の気持ちを汲み上げる形で、3月3日、長岡市に村の復興プランを提出した。山古志村は4月1日に長岡市と合併することになっている。
復興プランは村民の帰村を来年9月までに実現させるとして、雪解けの4月末、或いは5月初頭には、応急的な道路の復旧を実現したいとする。作業服姿の長島村長が説明した。
「立派な舗装道路を造ってほしいなどとは思っておりません。現在はズタズタに道が切り裂かれていますから、そこに、細い道を一本でよいから付けてほしい。あとは、我々村民が力を合わせてツルハシ担いで整備します。私たちはすでに十分、全国の皆さんから助けて頂いておりますから、これ以上の負担をお願いするのは心苦しいのです」
自分たちの村は自分たちで守りたい、復旧復興も自分たちが主力となって進めたいという気持ちが、雪対策にも反映されている。雪の新潟県でも山古志村の雪は凄じい。普段の年よりもまめに雪下ろしをしなければ地震で弱った家がつぶれかねない。しかし、まだ一度も自衛隊に応援を頼んではいない。村人たちが自発的に雪下ろし隊を結成したのだ。当初は若い男性が中心だった。が、彼らだけでは間に合わないために、気力体力のある人は全員参加するようになった。中心メンバーは約300名。村の企画課の担当者が説明した。
「70歳すぎの高齢者も隊員です。それでも雪深い山里で生まれ育っていますから、若くても雪下ろし未体験の人たちよりはるかに効率的です」
村でたった1人の医師、佐藤良司氏(59歳)が山古志村の雪について語ってくれた。氏は現在、仮設住宅群の脇に設置された診療所で村人たちの健康管理に専念している。
「長岡は今日も朝から雪で、道路脇には約2メートルも積み上げられているでしょうか。けれど山古志村の雪はこんなものではありません。家が雪に埋ってしまいますから、雪下ろしというより、雪を掘って雪の上に屋根を出すのです」
試練は雪解け後
関東も雪に見舞われた3月4日、村人たちは5日と6日の週末に、またもや村に雪掘りに行く準備をしていた。村人たちの絆の強さは、仮設住宅に移ってからも変わらないと、佐藤医師が言う。
「2月に97歳の女性が仮設住宅で亡くなりました。慣れない生活で体調もよくないので、私は入院を勧めたのです。しかし、皆がいる仮設住宅のほうがいいと言って、おばあちゃんはここで息をひきとりました。大往生とも言えるでしょうが、昔から助け合ってきた村の人たちから離れたくなかったのですね」
仮設診療所に集まってくる人たちの会話を聞いていると、皆が皆を互いによく知っている様子が窺える。そして彼らは実に柔和で穏やかな表情である。未曾有の地震被害に遭って身ひとつで避難生活に入った人々とは思えない。生れ育った故郷の慣れ親しんだ人々との強い絆が、ひとりひとりの心を支えているのだ。故郷の存在が大きな揺りかごのように、そのメンバー全員を心理的に包み込んでいるのだ。
長島村長は、しかし、試練はこれからやってくる、村人の結束もこれから試されると予測する。
「昨年晩秋に地震に直撃され、すぐに雪の季節になりました。村が雪に埋もれて今は、皆、村に戻ることも農作業や鯉の世話で体を動かすことも諦めています。しかし、雪解けが始まり、村の様子がもっとはっきり見え始めるときにどうなるか。帰村を諦め、村から離れていく人も出てくるかもしれません」
村人たちが直面する問題は、心の問題にとどまらない。来年9月までに帰村出来るとして、それまでは、錦鯉もコメ作りも、従来の生活を支えてきた生産活動が儘ならない。どのように生活していけばよいのか。
復興が意味するもの
村にとってもこれからの2年弱は大きな試練である。長岡市に提出した復興プランをみると、道路、水道、電気、電話の基盤作りに加えて、村人たちの住宅問題がある。全村の住宅の4割以上が全壊した状況で住宅の建て直しは緊急重要の課題である。
そしてそうしたことに必要な費用は111億円と計算された。年間予算25億円の村にとっては大変な額だ。無論、111億円は最高で99パーセントまで国の補助金を受けることが可能だ。残りも災害に対処する名目で起債することが出来る。起債は即、山古志村の借金ではあるが、その返済は交付税で賄うことも出来る。山古志村企画課の担当者が述べた。
「村民の努力で復旧復興をはかるといっても、100億円を超えるお金は税金です。4月に合併する長岡市の皆さんが、2,000人程の村民のためにそれだけの支出を認めてくれるのか、とは思います。それだけに私たちはこの復興が山古志の復興にとどまらず、日本全体の役に立てるものにしたいと思っています」
佐藤医師が興味深いことを語った。70歳以上の一人暮らしのお年寄りの単独世帯が100以上、65歳以上の高齢者人口が4割を超えているにもかかわらず、山古志村の国民健康保険会計は黒字なのだそうだ。つまり、お年寄りが皆元気なのだ。中山間地に暮らす彼らは、朝起きると朝食をすませ、すぐに裏山や畑や田に作業に出る。傾斜地を歩き、農作業をこなして体を鍛える。自然を相手に暮らしを立てる人たちによって、自然のなかに人の手が入り、美しく豊かな自然が形成され、維持されていく。佐藤医師の診療机の脇には、村の美しい棚田の写真が飾られていた。佐藤医師は言う。
「こんなすばらしい故郷も、こんなに恵まれた人生も滅多にないと私は誇りにしています。村では、細やかな現金さえあれば十分で、あとは自然の恵みを受けて充足して暮らしていけるのです」
日本の7割弱を占める中山間地には無数の小さな集落が散在する。そのひとつの山古志村の復興に100億円以上が必要だとしても、山古志復興の意味を考えればその額が高いとは簡単には言えないだろう。同村の復興は、膨れあがる日本の医療費をおさえ、放置され荒れはてていく自然を守ることにもつながるからだ。そして何よりも、そこに暮らす人々の言い様もなく柔和な表情は、戦後の日本人が置き去りにしてきた心を映したものだ。彼らの佇いは物よりも心の在り様を見つめながら暮らす人々の佇いである。山古志の復興に手を貸すことによって、私たちが学べるものは非常に多いと思う。